「なぜ、そこまで厳しい基準を設けるのか?」
「なぜ、顧問先の社長にまで牙を剥き、正論をぶつけるのか?」
私たち株式会社北陸人財開発サポート(代表・國宗一之)の姿勢を「頑固だ」と評する方もいます。しかし、私がここまで引かないのには、私の人生を決定づけた**「2つの震災」、そして「地方消滅への戦慄」**という、どうしても譲れない原点があるからです。
なぜ人財開発会社が「防災」を叫ぶのか。その理由を、少し長くなりますが、私の覚悟と共にお伝えさせてください。
私の原体験は、平成7(1995)年の阪神淡路大震災に遡ります。
当時、私は家業である土建業を営んでいました。テレビに映し出される神戸の惨状を見て、「何かの役に立ちたい、じっとしていられない」と、すぐさま大型トラックや重機を揃え、現地へ向かおうとハンドルを握りました。
しかし、現実は非情でした。 向かおうとする現場は瓦礫や鉄骨が散乱。
「今は待て! 大型車両がタイヤのパンクやバーストで道を塞げば二次災害になる!」と周囲に制止され、己の思慮の甘さに立ち尽くすばかり… 被災地のために何もできない。重機がありながら、動かすことすらできない。 自分のあまりの無力さに、悔し涙が止まりませんでした。この時の「次こそは、絶対に大切な人を守れる力をつける」という誓いが、私の胸に深く刻まれました。
そして、最悪の事態は「第二のふるさと」で起きました。
妻の本家がある宮城県石巻市(その後、本家は巨大な防潮堤建設のため解体されました)。あの美しい街が、東日本大震災によって一瞬で飲み込まれたのです。現地に入った瞬間の光景、五感を襲う凄惨な空気、街を覆いつくす悲しみ…それは筆舌に尽くしがたいものでした。
「もう、あの時のように涙を流して突っ立っているわけにはいかない」
私は金沢で物資や燃料を文字通り満載にし、本家をベースに石巻から知人の暮らす気仙沼まで、激甚被災地へ向けて計20往復の支援活動に身を投じました。 病院に診察に来た時に被災され、そのまま自宅に帰れなくなったお年寄りを車で搬送し、被災家屋の瓦礫を泥まみれになって撤去しました。無線車両の資格を活かし、全国から命がけで東北に支援に来てくれる団体へ、現地のリアルな状況アナウンスと誘導を行いました。避難所では小規模ながら温かい食事を届け、命を繋ぐ赤ちゃんの粉ミルクとお湯を配り歩きました。
残された親類や知人を助けていただいた、全国の皆様へのご恩。それを返すために、私はその後も全国で発災する災害現場へ、支援に向かい続けています。その背中を見て、「自分も何かしたい」と我が事のように心を痛める学生や若手社会人がいれば、私は彼らの想いに応え、何度も若手派遣チームを編成して現地へ赴きました。
東日本大震災の直後、ハローワークの求人開拓推進員として4年間、奉職していた私が、退庁して「北陸人財開発サポート」を起業せねばならないと強く決意した理由。 それこそが、「被災地からの人財流出を食い止めること」でした。
震災によって仕事が失われ、若い人財が雪崩を打って都市部へと流出していく。コミュニティが崩壊し、街が急速に力を失っていく姿を、私は最前線で見つめていました。 そして戦慄したのです。「これは、大規模な震災だけの話ではない。人口減少が進む、日本の地方都市すべての未来の姿ではないか」と。
過疎化、高齢化、そして災害。 地方の中小企業から若者がいなくなるということは、「数年後の会社の消滅」であり、「地域の消滅」そのものです。だからこそ私は、自らの最大の得意技である「人と企業をつなぐ役」として、地方の企業を強くし、若者が永続的に集まる仕組みを作ろうと、この会社を立ち上げました。
東日本大震災のとき、津波を免れたものの、あまりの寒さと「低体温症」で亡くなられた方が少なくありませんでした。もしあの時、自力で火を起こし、暖をとる術を知っていれば、救えた命があったかもしれない。
だからこそ、私たちが運営する「人生寺子屋」や学生団体「突撃TOPs」のイベントでは、あえて「防災としての焚き火」「火起こし」を学生たちに直接指導しています。
※現在は、全国の自治体からも親子でご参加される防災イベントの実践講師としてお呼び頂いております。
一見、ボーイスカウトのようなイベントに見えるかもしれません。しかしこれは、単なるアウトドアレジャーではなく、極限状態でも「生き抜く力(サバイバル能力)」を身につけるための、本気の防災教育です。
自分の命を自分で守り、いざという時は他者を助けられるリーダーを育てる。それもまた、私たちの「人財開発」の重要な柱なのです。
こうした長年の被災地支援と人財雇用の経験が認められ、私は令和6年3月より石川県が主催する「能登半島地震で被災された皆様へのお仕事相談会」において、受託機関のチーフアドバイザーを拝命いたしました。
能登の被災地でも、全く同じことが起きています。生活の基盤が揺らぎ、雇用が脅かされれば、人は地域を離れてしまう。今、北陸の経営者が向き合うべきは、目先の売上だけではありません。「社員の命を守る防災体制」と、「有事でも揺るがない人財の定着」です。
経営者様、想像してください。 もし明日、大震災が起きたとき、御社は社員とその家族を守れますか? 「守られている」という圧倒的な安心感、そして危機に対して一丸となれる強固な組織力(エンゲージメント)があるからこそ、若者は「この会社で、この地域で働き続けたい」と心から思えるのです。
私がお預かりしているのは、目先の「労働力」ではありません。 震災の瓦礫を乗り越え、これからの北陸、そして日本の未来を担っていく「若者たちの命と人生」そのものです。
だからこそ、私たちは「ただ人を安く使いたい」という企業はお断りします。社長が採用を他人事にする企業には、耳の痛い正論もぶつけます。
私たちは、本気で地域を守り、本気で若者を育て、どんな危機にも負けない強い企業を北陸に遺したい。そのために、命を懸けて現場に伴走することをお約束します。
行政の信頼、メディアの発信力、そして幾多の修羅場をくぐり抜けてきた当社の「覚悟」を総動員して、御社と北陸の未来を守り抜きます。
株式会社北陸人財開発サポート 代表取締役 國宗 一之